人間は、自分の環境の中で「自分の欲求に基づいて行動や思考をする」生き物ですので、人間の生き方は本質的に原則「利己」なのだと思います。
ただし、本質的に利己的な人間は「悪」でも「善」でもなく、
人間の利己的かつ害他的な行動や思考が「悪」なのであって、人間の利己的かつ利他的な行動や思考は「善」なのです。
整理しますと、「善」と「悪」は次のように定義できると思います。
善とは「利他」の行動や思考をすること
悪とは「害他」の行動や思考をすること
このため、人間の生き方には、基本的に次の2通りの生き方があります。
(1)善人の生き方=「利己かつ利他」の行動や思考をする生き方
(2)悪人の生き方=「利己かつ害他」の行動や思考をする生き方
勿論、これ以外の人間の生き方も考えられますが、レアケースですので、ここでの説明は省略させていただきます。
私たちは死後、生前の善行と悪行の大きさに応じて、相応の報い(因果応報)を受けることになると思いますので、
死後天国へ行きたいのであれば、当然「悪人の生き方」は避けて、みんな「善人の生き方」をするべきなのだと思います。
しかし人間は、自分と他人を較べて他人に対して妬み(ねたみ)・嫉み(そねみ)・恨み(うらみ)という心理が働きますから、
私たちは、つい「悪人の生き方」をしてしまうことをよくよく自覚し、注意して生きなければいけないのです。
注)妬み(ねたみ):他人が羨ましくて腹立たしく思う「怒り」の感情
嫉み(そねみ):他人が羨ましくて憎らしく思う「憎しみ」の感情
恨み(うらみ):他人からの仕打ちに憤って「仕返し」を望む感情
このような考えに対して、いや!人間は死んだら「無」になる、という考えもあると思いますが、この考えは反社会的で大変危険です。
なぜなら、この考えを安易に容認してしまいますと、私たちは死後、生前の悪行が裁かれないことになりますので、
妬み・嫉み・恨みという心理が働きますと、分からなければ、或いは、証拠を残さなければ、人間はどんな悪行でもしてしまうことになるからです。
そうしますと、この世は住みにくい「地獄」になってしまいますので、この考えは、この世に住む私たちにとって原則「禁断の考え」なのです。
ただ例外として、自分の死に直面して恐怖を感じている人が、救いを求めて考えることは容認されるべきだろうと思います。
また、死後のことは断定できませんが、物理学上、私という「有」が「無」になることはあり得ませんし、
肉体(物質)は滅んでも、アインシュタインの特殊相対性理論(E=mc²)から、目には見えないエネルギーに変化して存在し続けるのだと思います。
そして、原因と結果の法則は、あらゆるものに適用され、私たちの生前の行動(原因)が死後の結果になるのだと思います。
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